忍耐の入院生活、リハビリの時間帯が同じ男性は病室での食事も嫌ってよくⅠ人で談話室で食べていた、その彼に面会者があった。訪問の男性達に「早く娑婆に戻りたい」と語る声、腰の手術、体重減が大きいようだが順調、でも病院から走り出たい気持ちが強く言葉から伝わって来た。
娑婆の語源は仏教語、俗語的解釈の娑婆の世界とは反対の意味になる。
娑婆なんて久しぶりに耳にして、安倍譲二の<塀の中の懲りない面々>や山本譲二の<獄窓記>を思い出す、獄中の状況の想像となったーー。
退院初、夫と食事に出た娑婆には早くもポインセチアとサンタクロースが並んでいる。
でたらめ私流、漢字の当て字に自己流で
娑婆を
社場、社会・場って書こうかなと夫に言って笑われてしまった。
院内50日とあって、様々な家族模様、暖かく気持ちのよい家族愛が窺える。
話の突破口をなかなかつかめない私だが会話の出来た17人の患者、80才近く未亡人となってしまった人も居るが皆、いい家族に囲まれて幸せな笑顔が素敵で大好きになった。
途中からの同室者、快復が早く、あっという間の退院とり、遠方の長野県戸隠からの娘さんの見舞いを何度も見る事となった。
長野は妹が住んでいる戸隠は其処からまだ遠い。旅の思い出も濃い戸隠ーー其処から駆けつけて来る娘さん!何だか私が見舞われた様な嬉しい気持になってしまったりして。
<山で猫と暮らす日々>戸隠の素晴らしい自然、燃える様な紅葉、話題にのぼった猫ちゃんの様子と共に退院後の日々の楽しみが広がって、戸隠が近いものとなった。
恐怖、思うのもいやなのドレーンが抜けた日の記録は無い。
9/29術後2日目にして主治医が「立ってみて、足に体重をかけても大丈夫」という。
とんでもない!切り開いて骨をくり抜き金属を埋め込んだばかり、骨の施術は大工仕事と聞いていた.もう立てるの??、さらにベットサイドの車椅子に座るなんてーーー先生の手が延びて悲鳴を上げた。
主治医「大丈夫、立つ事も座る事もできるから」支えられながら座るーーー強行。
お陰で此処迄は春より早い進歩、早々日の出を見て、夕焼け空を眺めて春、新芽からすっかり茂った木々に鳥達が飛び込む、そんな窓の外に注意がいく程になったーーそれなのに、遅れ、遅れ!歩行の進まない日が続く。
春には叶えられなかった、歩行器で9階に移動の冒険が出来たのは、既に暦が11月の日々を刻みはじめていた。
富士山のまん中に沈む太陽を思い出し、厚い雲の中に見えない富士山をさがした。
夫は手術後ネパールへと発った、帰国後、仙台へ、琵琶湖周辺の旅へと、そんな間を縫って良く足を運んでくれた。年間100日を越える夫不在が常だったのに結婚して初めての私の不在。
主婦業の私としては夫、Ⅰ人の身ばかりの心配ではない、拾ってしまった猫の面倒迄見る事になって困っている様子が窺われる。長男、次男に確認の依頼をしたが皆忙しく気がかりだった。
従姉妹が良く夫に電話を入れてくれたようだがーー妹や従姉妹達と夫ってしっかり家事を教えないと困った動物なのよね!!と感謝しながらもそんなメールが飛び交った。