滋賀から帰宅した夫、永源寺相谷町の縄文時代の遺跡の話を聴く。
今迄の奈良・京都への旅の目的はお寺巡り、続く滋賀県にも幾つもの古いお寺、仏像の見学を目的として幾度にも分けての旅が多かった。
以前は布引焼きの窯元で,作陶を楽しんだり、四季折々の滋賀県を楽しんだが縄文時代の遺跡の事は全く知らなかった。今回夫は良い体験をした、中学生の美術クラブ主体の勉強会に加わった。
先ず能登川考古学博物館に行く、発掘された土器を見学、縄文土器の講義を受けた。其れから実際の発掘現場に行九、発掘現場は保存されておらず、水田の中の1帯だった様だ。
夫に見せてもらった資料を見ると東近江の此の遺跡は日本最古1億3000年前の縄文時代草創期の遺跡という事なのに、此の年代があきらかになったのは、放射性炭素年代測定方法が有るわけだから正しいのだと思うのだが、今迄私が知らなかったなんて、聞けば発掘されてから年数が浅いというのだがーー。
探検の殿堂に戻り、全員で,見て来た土偶、小さな3センチ程の首、手足のない、乳房と腰の辺り迄のトルソーの作陶を一諸にした唐湊の様子を聞く。
今日は1日思いもかけない、夫のメモ書きのある資料を楽しむ。
プリンター、エラー表示のため、添付を諦めたが湖東地区まちづくり協議会の江戸時代の湖東の百姓たちの歴史と文化、同じく湖東に伝わる匠の技「宮大工」人「釣鐘造り」の冊子を読む。