昨日は土用の丑の日、鰻屋さんが行列ができたようだ。
信州上田に住んで居る頃は我家では鰻を頻繁に食べたのは晩秋から冬に掛けて、鰻の本来の旬といわれる時期、母の実家の前に鰻屋さんがあって、父親がよく買に行った。
春休み、夏休みに成ると母の実家へ皆で行き東京の従兄達・従姉妹と何十人もが集って、泊まり、生簀の鯉の数が減る程、食材には恵まれていた。
そんなわけで,母の実家では、生簀の鯉と川魚のマスやイワナ、ドジョウ、3センチ程の小さな此れから成長する頃なのにフナの甘露煮が春から夏の食卓に並んだ、旬もの。
目の前の鰻屋では夏休み中、さばく所を見るだけで実際に食べるのは冬だった。
鰻が生きて割かれる、長いからだが斧法からクルクルと巻き返す様、鯉、頭を叩かれ気絶した瞬間、生きてさばかれる、肝が肉体を離れても何時迄も動く、当時は鯉の肝の丸呑みをする、叔父もいて一寸川魚、鰻は苦手になってしまった。
だが祖母が、ビー玉を少し大きくしたほどの新ジャガを、炒め、鯉のアラで甘辛く煮てくれた、新ジャガがしわしわになり甘くて美味しい、子供達は皆で競争で食べた。
茅野から諏訪に帰る途中、百合ちゃんが「此処に来ている間は食べたい物があったら何でも食べさせてあげるから、いって、なんでもいいんだよ!」と「明日の夕食は
鰻」だという。
最終、土用の丑の日に先がけて、鰻が食べたいと百合ちゃんに我が侭を言った。早速、百合ちゃんの知人、諏訪湖のほとりにある、うな藤での夕食と成る。
諏訪のかりん並木、7月には市民がこぞってフクロ掛けをするという、黄色い袋の数だけカリンが実を結んでいるのだから驚いてしまう。カリンは元々此の地域の特産物だった、マルメロとカリンの区別がつかないが、気持マルメロの香が強いのか?大好きな良い香がする。
諏訪、湖畔公園ふれあいなぎさから湖水の中に立つ八重垣姫の像。浄瑠璃や歌舞伎の演目にもある「本朝廿四孝」に登場する、上杉謙信の娘、架空の人物。
諏訪湖の花火は今年で66回に成るのだろうかもう何度もの鑑賞で,50万人とも言われる人出では、友人や親戚が居ても見物は一寸卒業の年令となった。湖には筏か?仕掛け花火の準備がされていた。
茅野駅前と、諏訪湖畔の蒸気機関車、D51。