もりおか歴史文化館、あの日あの時の盛岡、セピア色のポスターの印象は強かった。
街を外れ此の春、盛岡から花巻に向かう途中、友人親子が関わる牧場に立ち寄った.馬場を駆けるたくましい馬達、ちゃぐちゃぐうまっこの華やかな衣装が目に浮かぶ、その日、誕生する寸前の馬も居た。まさか、此のタイミングで、牧場の馬の突然死が知らされるなんて。
森岡藩に取って重要な産業、領内直営の牧場(御野)で育成された馬は南部駒と呼ばれ、江戸時代前期には幕府・諸大名の馬買い役人訪れたと言う。自動車産業が普及する昭和30年代頃迄、人と馬の関わりは強かった。
私が最初に訪問した盛岡は半世紀も昔、昭和だがタイトルの馬のいた風景はしらない。その後訪れる旅、遠い山々の形を残して大変貌。
宮沢賢治、石川啄木、高村光太郎・高村山荘・萬鉄五郎、美術館、記念館、博物館と旅に出る都度巡り次なる興味が生まれる。
黒田官兵衛、テレビ番組の視聴率はどれくらいか?私もその一人だが次なる展示予告。
10月28日、東京からの同行者を待つ.盛岡の空は灰色の雲に覆われ、八幡平の雪を知る。
一度行った所は2度3度と足を運ぶ、こんな早い時期に2度目の旅のチャンスに喜んで参加したのに、雪のため道路が封鎖され、一部コース変更となった。十和田湖方面を旅していた友人が真っ先に到着、三人で東京からの参加者を待つ。21人の内1人風邪で欠席。