夫、帰国、今回は順番に皆体調不良に陥ったようだ。
ガビに診療所が1箇所あるだけ、ポカラまで下山しないと病院はない。
夫が真っ先に体調を崩し、一旦タサンまで下山、1泊休養しただけで再度ムスタン入りしたとの事。
夫の下山後、其れを案じた同行者が4000メートルの地点で、転倒して顔に怪我をした、メガネが割れ切り傷を負い、夫が復帰した後、テーピングをしながら頑張ったようだ。
ムスタンからの下山後、ポカラに到着した時点では目の周りのうっ血が見られるが、切り傷はテーピング処置で治ってしまい、病院に行く必要がなくなったと夫に話しを聞きながら事務所迄おくった。
赤坂から目白に向かう、江戸川橋の交差点、ビルの上部に取り付けられた巨大なデジタルサイネージに今日の天気と気温が表示されるのを見た。
室内17度寒さを感じる日あり、ここ数日は19度・20度が続いていたが22度だとかなり暖かく感じるものだと体感した。
辺りが紅葉の最中、中央分離帯にススキの葉にそっくりな植物が、延々続く。
見た瞬間、手に痛みを覚える、遠い昔体験した、穂が全くないこんな植物を引っ張った途端手が切れて血で染まった思い出、車しか往来しない中央分離帯だからいいけれど、この植物は危険。
何故?中央分離帯にこの植物が選択されたのか?、約1メートル丈、対向車線は見えない。
オーストラリアは夏、仲良く手を繋いで、裸足、海岸に向かうのかな?。
こんなにハグする仲良し、微笑ましいのに、日本に帰国した時の凄まじい喧嘩が目に浮かぶ。
全く同じものなのに、相手が手にしたものがよく見えるのか取り合いの喧嘩、3歳だがこの男女の双子ここに来て体格に差が出てきた、性格はどっちも譲らない男女の差はない強さ。
どう変わっていくのか?目の前で繰り広げられる光景はまだ加減が分からない年齢の喧嘩なので怖いし、見えない所で繰り広げられる喧嘩も見えないだけに心配。
お互い、ぶつかりあいの喧嘩をして自分の痛みを通じて、相手の痛みを覚えていくのかもしれない。
思い出してみるけれど、自身に妹弟との喧嘩の記憶が全くないのが不思議。
唯一、喧嘩から始まったと思える記憶が有るーーー私達3人姉妹、その下に弟2人、兄、弟は1歳しか違わない。ある時向かい合って座っていた弟に何かあったのか、弟が兄のおでこを目の前にあった卵でたたいた、卵だったのでピシャッと割れて顔に卵が流れ、其れがおかしくて2人が笑いながら 卵で叩き合い。其れは3人の姉達に飛び火全員、揃って卵の叩き合いが始まってしまった。
大量買いの癖のある母が、常に買い置きしてあった、ザルいっぱいの卵1貫目、5人で全部割ってしまった。母が帰宅、全員両手を揃えて母の前に「この手が悪い!!」と悪ふざけをしてた私達を怒る時は物差しで畳を叩いて怒った母親なのに、両手を思い切りたたかれて泣いた。
顔、耳が、目、手の皮膚が突っ張ってしまった記憶、物差しが痛くて、以来人が棒を振り上げると恐怖を感じる。それぞれの記憶、それぞれが受けた恐怖の影響トラウマになっている事など姉弟が寄ると話題になる。笑えるのは化粧する母が卵パックを覚えたのがこの時からと我が家の伝説になった。
妹2人と母の3人は化粧をするがーーー私は生涯化粧で化けることなく終わるのかもしれない。
卵で顔をパックして、永久にシワを予防できるのならするかもだけど!!
予防接種を受けたと言うライン、こんな予防臭者の証明がもらえるなんて、注射嫌いにはならずに我慢する事覚えたかもだが、この年になっても注射は嫌い。