年末に届く喪中の葉書が続々。
最後の親を見送り二十年近くなる、長寿社会となり、その最後に他界した親の妹も、今100歳近く健在。今年訪問した時、夫の昔の事をよく覚えて話題が盛り上がっていたが、現実、目の前の夫がその本人と気付いているのかは定かではなかった。
喪中の葉書は80歳後半から90歳代がほとんど。
100歳、目の前の夫のお守りをしてくれた人の死もあり、長寿は喜べても、懐かしい人の死を改めて受け入れる年末は寂しい。今頃はあの世で再会か?、お互いの没年齢は、ほぼ同じだがあの世の事は皆無ーーー無の世界を思うのは現世の者のみ。
実母の臨死体験では、三途の河原の向こう岸で母を呼び大勢の人が手を差し伸べていたと、亡くなった親・兄弟が皆居た、渡る川は深く向かいからどんなに手を伸ばしてもくれても届かない、其れが怖くてを渡らなかったとーー臨死体験談。
現世とあの世の間を仕切る川を超えた人の話はーー無。
大勢の長寿の喪中、そんな中、此の年末に来て今まで知らされなかった40・50歳代の甥・姪の死の知らせはショックであり悲しみも大きい。
小淵沢から帰宅してすぐ、弟夫婦と再び信州に向かった。
8月には長野県佐久、夫の先祖の菩提寺である守芳院へ行きそこから県内の旅のスタート。
今回は私の父の菩提寺、同じ佐久、岩村田の西念寺。
子供の頃よく家族で来た、巨木が朽ちてしまったのか?自分が成長して身長が伸びたためか?当時全てが大きかったものが気持ち小さく見えたりして。
藤棚の脇の門からお墓に入る、父親が妹弟をかわるがわる抱き上げ、浅間山に 上る噴煙を見て火山の説明をしてくれた。
子供の 頃見た浅間山が、雪を頂いている事もあってか、こんなに近くに見えたのは初めての経験。