アルバムから一枚の写真が落ちた。
此の写真2011年春4月、女3人が東京から車で、紀伊半島の旅をした時の写真。
自分史で、旅行記をと何度も挑戦して、膨大な写真の枚数だけでその気をなくす。
65歳の節目に子供からの払い下げのパソコンをもらったのをきっかけに、見よう見まね、我流旅行記をまとめたが、今やそのコーナー睡眠状態。伊勢路への道中 此の空間での写真は大変な量になる。
ドライバーをは友人と私の2人。和歌山・高野山、吉野、伊勢、鳥羽からフェリーで2泊3日、長距離の旅をした。
この写真は紀伊半島、伊勢路に向かう国道166号線、目指すは創業200年の古い麻吉旅籠への道。
突然目に飛び込んだ瞬間はアントニオ・ガウディを思った、異風な彫刻群かと、場所が三重県 松坂市の山中であっただけに、通り越してしまったのだがユーターン。
梯子も掛かっているし、工事中でもある様だが人の気配なし。
それでも広大な敷地、作業する人か主人が近くにいるのかと「どなたか居ますか?」と私は中に入る、友人は門の外から、道路を渡り向かい側まで探して歩く。
誰もいない空間、庭園内の見学、断りもなく写真を撮る、近くの学校の生徒の陶板なども埋め込めるコーナーがあって、500円で作陶参加の文字、私達の様な旅人も参加できるのかもと思ったりしてーー。
無人、人通りも通過する車さえ少なかった。
当時私の写真を見て尋ねた人が東京から行ったのだが、無人で連絡する所がなかったと、いずれも作者に会えた人は居なかった。
2011年旅をしてから、2年目の2013年新聞を見てびっくり、2013年5月に陶芸家の死が伝えられ、東 健次という名前を知ることとなった。旅に同行した友人も新聞の切り抜きを届けてくれてーー、しばし虹の泉の話題でいっぱい。あの当時はもしかしてご病気で、現地での作業は中断していたんだと思ったが、作者に会ってみたかった気持ちがーーーいまでも残念な思いとして尾を引いている。
当時2011年の虹の泉の写真ーーー昨年奈良、吉野、和歌山入りの折に立ち寄らなかった次回は??
春、桜の時期のいりぐちちかく。
陶芸家 東健次の想いがどんなだったのか、完成が程遠いものではない所に至っていた此の空間。あの時陶芸家が此の場にいたら、500円で私の作陶の一欠片が此の入口の何処かに埋め込んでもらえてたかも知れない。