ダウラギリの高山 ガミでのコスモスは丈が短く可憐だった。
ローマンタンの旅から帰国したばかりなのに,下仁田方面から佐久への国道254、9キロに渡るコスモス街道を走りたい欲望。
ネパールへ発つ前、夫と長野市や安曇の方面行きを考えていた。
昨年の事に成るが8月小淵沢で、私の救急車騒ぎの末、10月には入院手術、前後して夫の身辺では、友人、知人、親戚で多くの人が他界、そればかりかネパールの友人と、ムスタンの王様の死の連絡、此処数年患っていた長野の義弟が昨年9月頃から様子が急変、義弟も今年7月に他界。人との別れが年々増え旅の前にあちこち訪問の予定も、夫の1ヶ月間に渡るネパールの仕事で不在となり、予定が消えた。
ガミで子コスモスを見た時、夫のたった1人残る叔母の入退院を繰り返す姿を思う。
叔母の描いたコスモス−−−信州のコスモスが見たい。
そんな折、長男が益子の生田目に広大なコスモス畑があると連れて行ってくれた。
休耕田を利用した東京ドーム約3個分の地がコスモスでいっぱいだった。
写真は、河内群上三川町ー五分と言う地区ーーーかみのかわ・ごぶいち、と読むとの事。
懐かしいススキとセイタカアワダチソウのコラボレーション、子供の頃、母親が、ススキとセイタカアワダチソウの花を摘み、今日の様な13夜や15夜の秋の月見には定番の生け花だった。
佐久の叔母が届けてくれた1口大の月見団子とゴムまり程大きな母の作った月見団子や柿や栗、農家の人が届けてくれた秋の産物が勢揃い、忘れられない柿があって小さなキンカンほどの黒ずんだ柿で、其の柿は枝に付いたまま、生け花同様花瓶に差してあった.あの柿は今でも信州にあるのか??
セイタカアワダチソウと言ったら花粉症に成ると伐採された事があるが、こんな我家の様なアレルギー体質や花粉症のある姉弟も