pリフレッシュ、大型連休4月30日発、5日目の最終予定日は塩尻へ、朝日美術館で開催されている、池田宗弘展に行く事になっていて、あらかじめのチェック、渋滞状況によっては、転居して初めての遠出故に今まで通りの東京着を考える訳にはいかないかと、最悪5泊6日になることも考慮していた。
池袋美術館発 旅の最中は車での移動だが、池袋美術館着後の小山への単独行動。
何十年もの都心生活と地方の生活の差を意識しての出発となり、行きは車で送ってもらったものの、帰路小山への電車利用、自分なり時刻表確認から始り緊張の時間帯。
予定は小淵沢泊の最終日、富士見 から茅野、諏訪 、岡谷、塩尻市一寸下るだけ、同行者とは今回 池袋発・池袋着となっていて、塩尻へ移動しても 上下線とも中央高速利用の工程 で問題なし。
3月の 九州長崎の旅の、ブログ後半が今、保留状態となっているが、カトリック長崎大司教区、聖トマス西と十五殉教者、及び九州宗像市の修道院を訪ね池田さんの作品を見た。
今回は長野県の塩尻市、連休中の行動故に心配をしながらも改めて出直しの塩尻行距離はと運転予測しての出発だった。
仕事を免除され、新規制作に励む88歳、今回は選択した石の素材は柔らかく「お豆腐をカットしているみたい!」と絶好調。すごい勢いで頑張って 次回夏の合宿時には完成を見るかもしれない。
88歳おそるべし芸術家の口癖「80過ぎて石彫なんてやるこっちゃ無い」ーーもうすぐ90歳でしょう!
4月米寿の祝いを済ませ「この歳になって、私にこんな生活が待っていたなんて 思ってもいなかった 、良いメンバーがいて良かった 良かった!!」と満足そう。
彼女に連れられここに来ていなかったら 、私も此の芸術家のメンバーの仲間入りなどできなかった 、石彫などとんでも無い事だった。
そもそも最初のスタートから、優柔不断な私と違って、ものすごい強引な芸術家だった。「私のスケッチブックとコンテを貸してあげるから、デッサンをして帰りなさい」と手渡され、まだ子供だった次男に向かって「貴方1人で帰れるでしょ!」と1人で美術館から帰された話を、息子と良くする、帰されてから30数年が経過。
あの時1人帰された息子と今でも画家の強引さに共に驚いた話題がのぼる。
88歳の此の人の強引さがなかったら、私はデッサンにも、石の彫刻などにも挑戦する事はなかっただろう。
午後から打ち上げ、バーベキュー大会が始まったのは2時をまわっていた。
彼女の塩尻行きが消え バーベキュー参加となる。
そしてさらに、大好物のフルーツ、初物のスイカ登場。
スイカ割をすると言う、その後 誰かが焼きソバの声で、画家に呼ばれ、スイカと、焼きそばを食べてから帰りますと告げられた。
88歳の画家の過去にはなかった「皆んなと、おくる、こんな人生が待っていたとは」と繰り返す。ここへ来れさえすれば、作品は生まれ、集うメンバーの一員、老いも若きも仲間、チャンスをたくさん作ってあげたい。
割れたスイカを夢中で 榧さんに運ぶーーーー小仏峠で20キロの渋滞はあったものの、思ったより上りはスムーズ、息子の美術館迄の迎えはあったが、私が小山の自宅についたのは深夜12時をまわっていた。