アイラブ 小山 栃木県に農園契約の為、長女と孫が訪れた。金曜の夜、明日は小山、思川の農園と、宇都宮市の大谷待の見学を予定している。
* 丸ノ内 朝飯会の2500回記念誌 盛んに似顔絵を書いているなと思っていたけど、こんな感じで完成をみると、なかなか良いかもと思ったりして。
* 友人がいつも郵送してくれる、番付表 最初は読めなかったのに、年数を経て、長〜く細い、小さな文字が読み取れる様になった。天眼鏡も必要がない進歩、一年の相撲場所の日程表を見れば、彼女の行動迄も把握できてしまう。いまごろは大阪・愛知・福岡か?といった感じーーー時に真っ赤な紅葉の京都だったり 、長野県からの頼りだったり、列車苦手の私には信じられないほど彼女は行動派。
長女が子供と二人で小山に到着、子供4人のうち今回は次女の同行。農園の契約や手続きで一泊の予定、日曜があるからと思ったのに、予定ぎっしりで一泊しか出来ない。この日、蘇鉄と思っていた木が棕櫚であったことがわかった日。蘇鉄は凶木と聴かされ、切る方向でいた折も折だったので、二本の棕櫚竹は命拾い。文京区の家では棕櫚竹が、2階の窓に届くほど何本もの丈の竿の様な木に育っていた、棕櫚竹と言うのだから、木ではなく長く枝分かれせず一直線の竹だったのだ。おそらく植木職人さんが植えてくれた、その時点で2~30年は経っている、棕櫚竹と聞いていたので、100年は過ぎてたかもしれない。
蘇鉄でなければ棕櫚ならばちと玄関脇、切られて幹だけになっていた木に、見たら 何もなく枯れた木の株だった所に、変なものが生えていた。此れ長いヤシの葉の形、 幹が太くて短いから、これは蘇鉄か??!。
長崎市の東出津町で3/10日に撮影した蘇鉄 アカイグロテスクな実がなっていた、見る限り、我家に芽を出したのは、やっぱりこれと同じ蘇鉄の様だ。
* ゴールドコーストの雨上がりーーー泣いて帰った孫、日本はもう忘れたかな?