あるじと同期で山岳会入りした、友人の他界を知らされました。
東京白稜線会の方達との関わりは大きい。結婚当初、始めて白馬の雪山も経験しました、ピッケル、アイゼンなど使用の初挑戦でした。その時、手を貸してくれた白稜会の女性メンバーは、皆、魅力的で、輝いていたのが、忘れられません。
何組かのカップルが誕生し子育ての時期も時間を共有した事有り。今でもチベットや、
ヒマラヤの国ネパールにも、ペルーにも旅の同行が続いています。
悲しい出来事も有りました、白稜会の3人のメンバーの甲斐駒での遭難死でした。
昭和37年1月4日、長女誕生、顔を一目見ただけで、あるじはすぐ冬山に、救助に向い白稜会に合流、なかなか帰ってきませんでした。
我が家の長女の名前は其の時、山の無線連絡で伝えられ,命名された名前なのです。
長女の成長を見る度、あるじは仲間を思 う、今回の同期の友人の死は又、悲しみです。
私は、まだモロッコボケをしているというのに、あるじはネパールへ発つ準備です。
今回は単身、いい様な悪い様な。 悪い様なと言う事はあるじのボランティア精神、少しでも役に立つ物をとネパールへ発つときは運ぶ荷物が大変なのです。
上野迄送って行き、1人では持ちきれない荷物を運ぶあるじの姿は、息子も私も散々見てきました。我が家が傾いても、関わったネパールの子供の為、生涯、自分の意志は貫くでしょう。あるじの言う、価値感を理解せねば---とは思うが、私は優しくないかも。
モロッコ産ピーカンナッはケーキにもならないうちに終わりそうです。手前のクルミは葛窪のクルミ、どっちかと言うとやはり日本産は味がいい様です。 孫達、食べないクルミなのに割器が気に入った様で、どんどんなくなりました。