子供の成長と共にハロウィ−ンなどで、カボチャをくりぬいたり、地方迄巨大カボチャを手に入れようと出かけるけ事などが無くなった。
私は、仏教徒であって、キリスト教徒ではない。実の親も仏教徒なのに。
環境は3歳から長野県、上田の梅花幼稚園に通った、そこがお釈迦様かキリスト教の幼稚園だったのか覚えがないが、園では毎朝「神様に、上げましょ奇麗なお花、神様に上げましょ奇麗なお水」と手を会わせ唄をうたった。親の転勤は有ったが何処に行っても、日曜日だけ「日曜学校に行くよ!!」と一家で教会へ,賛美歌を歌った。父親はキリスト誕生の話から始まって、色々キリストの話には今でもエルサレムに行って見たいと思っている程、興味を持つ話しをしてくれた。
聖人の日の祝事”万聖節”その前夜祭の話なども聞いてはいたが、年中行事はクリスマスだけだった。自分の子供を持って、自然親と全く同じ事をーーサンタクロースがソリに持ってやって来るイブは特別な日として語り、枕元にプレゼントを置いた。
我が家でハロウィンデーなどを意識してカボチャのオバケを作って祝う様になったのは、ずっと後。次男の子供の頃からで、20年程しか経過していない。
ヨーロッパのケルト族(古代原住民)の収穫を感謝して、収穫されたカボチャをくりぬいたオバケランタンにロウソクをともして祝った。そんな前夜祭がキリスト教に取り上げられ現在のハロウィーンデー になった様だ。
10月の町はハロウィーンデーのカボチャのオバケだらけ、日本でも仮装して町に繰り出し、大騒ぎ、行事を楽しむ様になったのも記憶が新しい。
子供の頃の父親の話に戻るが、その収穫の祭りを邪魔する悪い魔女の話が私にとっては、何故かドキドキして魅力だった。クリスマスツリーを飾っても、エンジェルと、魔女とサンタクロースは必ず一緒の、ツリーの中に飾る。
ヨーロッパに旅をすると魔女がどうしても目につく、何故かほうきにまたがった魔女なども買い込んだりして。最近買った魔女はとてもユニーク。プラハのガラタ橋の近くで買った魔女などはハロウィーンデーのカボチャのオバケを手にしている。
様々な物語に様々な魔女の形があるのに、収穫祭と魔女が切り離せてないし私の頭の中に存在する魔女は消せない、魅力的な存在。