過ぎ行く時間の中で、多くの人との別れがあり、今もーーー続きます。
尊厳死を望み病院と縁を切りたいと言う重症患者も居る、1人暮らしをして来た人の吐き出すような言葉を聞いた「そっとしておいて欲しい、世間の”孤独死”と言う現実が此れから自分に——私にもおこること、みっともなくない様に身辺整理をしたい」と言う。
アカデミー賞受賞「おくりびと」の話題の折りもあって、友人知人との会話は自然と葬儀やお墓、お寺の話になる、親を見送り、順番で逝けば、次は自分達の置かれる立場。
灰にして空からまき散らして、高山から、深海へ、お墓はいらない、戒名等いらない——こんな人が存在したと言う、残された人の心の片隅で静かに消えたいーーなど、皆仏教徒だが墓地に壷入り遺骨など置いてもらわなくてもいい派、友人は「葬儀にお金をかけるな」と遺言しておくと。
友人の葬儀、妹の義姉の葬儀などの儀式の在り方も様々で主婦達の話題は現実的。身近に色々起って、係ったり、知らされたりしても身内でない他人だと葬儀の1〜2日間だけの事、近隣の葬儀など全く知らないまま終わっている都会の環境。我が家でもすぐ近くの知人を見かけなくなって1〜2年もしてから、亡くなっていたのを知り驚いてしまった、逆に相手の家族は知らない事に驚いたが、旅の間に起った事は全く知る事がない。昔、舅、姑が町会の役員であった頃は有る程度は把握出来た事でも、今は全く知らない事が多い。
此の続く雨、あの世へ旅立った人達の涙雨かな〜。