2週間前の事、コバエ取りに、ライチに付いたコバエが入ったのを見た息子、其れを処分、今度は違う形のを買って来た。
ところが今度5日経っても全く入らない、先に買ったので一掃されてしまったのか?。
夕方夫の迎え、夕食は茄子の直火焼き、和食屋では良く味わう薫製の様なこがした香が加わって美味しかった。
夕食後、長野の妹と長電話、孫2人の夏休みでにぎやかな日々を送っているようだ。
弟夫婦と交わした子供の頃の思い出話をあらためて伝え大爆笑。
現代の様に、テレビゲーム、パソコン、携帯電話などない時代、我家の両親は私達子供5人と一緒になって遊んでくれた。家族全員でままごと、両親が交代で子供の家のお客になったり、お店屋さんになったり。いつでも何をする時も家族全員で行動、夜は楽しい話をしてくれる父親の両となりを5人でうばい合う程だった。
母の料理下手は妹の思い出でも強烈「まずい」と言ったら、父が母をかばい「人の作ってくれた物をまずいというのなら自分で作ってみなさい」と怒られたと。明治生れの父、恋愛で結婚し良く母をかばった.転勤時も家族は離れず全員で移動。
最大の思い出は父が役所からボーナスをもらった時の事.私が小学5年生、妹が3年生、3番目の妹が小学1年生になった年の事.家族全員が座らせられて、初めてお金の話をした。
父が毎日、仕事をして給料をもらう事、特別な手当ボーナスがでる事、其れで家族全員が生活する事の説明だった。其れは夏、もらった特別手当(ボーナス)だったのだが、お札を畳の上に全部、並べて説明をした。覚えているのは畳みにいっぱいお札が並んだ事と普段もらうお金と違って、特別な事に使うお金だという事。大きな買い物や皆で遊びに行く時につかうお金があるのだということを知った。其れが最初で最後の子供達への説明だった。
私が中学1年生になった時、新しく買ってもらったばかりの靴が学校で無くなってしまった。
全校でマラソン大会があり、履き鳴らしてすぐ近くに迫った時の事、古い今迄はいていた靴で走りなさいと父は買ってくれなかった。欲しいものがすぐ買ってもらえない、なくなったことの不注意、その悔しさを味わい.そんな思いが私を走らせ、松本の女鳥羽中学マラソン大会、全校一番になった。
よその家計は知らないが家族として生計をともにするうえで、夫婦でさえ個別に分かれ家族としてのまとまりがくずれて来ている気がする。
昔々の親の教え、妹も、弟も親の行動が結構影響しているかも、とにかく楽しい家庭だった,全員が根が明るい、私みたいな駄目人間もいいるけど、良かったと妹との長電話。