一番末の弟が定年に先がけて兄の土地利用で、養蜂を試みた。
昨年早々、蜂蜜やきのこの収穫有りおすそわけ味見となった。今年2年目にして日本みつばちの蜂蜜が立派な生産品となった。全く知らない養蜂の事、今朝は西洋みつばちと日本みつばちの事をインターネットで勉強する事となった。
昔々、此れも子供の頃の事だが父親が大病をし、心配した母の姉が父親に薬だから飲ませる様にと一升瓶の口元迄入った蜂蜜と同じく一升瓶の中に大きなとぐろを巻いた蛇の入ったお酒を持って来てくれた。信州人でも耳にした事はあるが父、まむし酒は初めて目にするものだったらしく叔母が帰った後、父は大急ぎで,風呂敷で包んで蛇を見えなくし「此れは飲めない!駄目!!」と言った。
まむし酒は母が父親をだまし、父は知らずにしっかり飲まされたようで中の蛇はどうなったか?。其の後又叔母がやって来て、今度は5センチ程の長さに切った真っ黒に焼いた乾物状のもの、それも父親の為の薬だった、それを母は、すり鉢で粉にし父にも私達にも胡麻などと交ぜてふりかけにして食べさせてくれたが、後で聞いてびっくりまむしの黒焼きだったという事。
母のお陰かもと、今思えるのはシニアになっても親知らずは無いが27本の歯が健全で,歯が痛いという経験が無い。父親にしても2度も命の危機から救い85才迄看病、自分の命を縮めた。
まむしに始まりーー、煮干しを焼いて砕きすりおろし粉に、ごま、豆、まむしに至るーー。知らないうちに皆な体内に取り入れたお陰かも、祖母が言った、たもとを降って舞って歩いていた母、料理は下手だったが出鱈目が功を奏したのかもと。
今でも語り継がれる泥棒の話題、母の上に男の兄弟が沢山いるのに母親がどろぼうを捕まえた、其の泥棒に祖母がお米からお味噌他、色々持たせて帰してしまった。母親が地団駄踏んで悔しがった話がある、祖母「女に捕まる様な弱い泥棒、事情を聞いたら矢張り根っからの悪い人では無かったからだよ!!」と母を説得したーーー今日は父の命日なのに弟の日本みつばちの話題から最後は母の思い出話になった。妹弟で語るこんな時間がだんだん貴重な時間となる。