八月の十五夜、九月の十三夜、満月の日は特別だった思い出。
9月誕生が3人も揃っていた(母・私・妹)我家、満月の日には、母のお姉さん(叔母)が白一色のお団子と小豆だけのお団子を作って佐久の臼田から来た。
叔母の育てた野菜や庭のすすきや栗を飾ってお月見をした。白いお団子がある時、汚い色のお団子で,小豆のお団子もなくて、黄色い重層で膨らましたおまんじゅうの中に小豆が入っていた時があった。白い真っ白なお団子は餅粉で作るのだが汚いお団子に見えたのは里芋を茹でて、つぶして丸くしたお団子だった。
叔母は旦那さんを早くになくしていて8月の15夜には先祖に対するお供えをして既にお月見をしているが片見月は縁起が悪いからといって9月のお月見には必ず我家に来た。
一緒に3人の誕生祝いと月見と先祖に対するお供えとをした。
帰宅途中の夫、深夜12時近いのに満月の写真を撮ってのプレゼント。
長野自動車道、更埴インターと麻績インターの間にある姨捨サービスエりア。松尾芭蕉のくがあるが、松尾芭蕉の名月やで始まる俳句が幾つか思いだされる。
満月なると、月の世界からかぐや姫を迎えに来る竹取物語と姨捨の田毎の月を思い出す。親を山に捨てられず、隠していた男が殿様の難題を何でも可能にする、殿様が老人の知恵を知って以来、親を大切するようになったという姨捨山の物語がセッとになっていた。
母と子供5人が枕を並べて父の昔話を聞いた。毎年お月見の日にはきまって同じ、此の親孝行者の話で父の話が終ると皆で「めでたし、めでたし」と声を揃えて言ったのが忘れられない。
能の姨捨も父親がしてくれた話とは違って,都の男が名月を見に来て里の女の人と合う,月夜に老女が真っ白な衣装で舞う棚田の名月の場面も思い浮かぶ。