女3人、紀伊半島の旅に出たのは2011年4月の事だった。
ドライバーを勤めたのは2人、帰路フェリー使用もあったが尋常な走行距離ではない。
旅としては思いがけない発見あり、体験あり、充実した内容の濃い旅だった。
その時の旅の同行者が入院中の私に悲報を届けに来た。
「虹の泉」の制作者が5月に他界していたという悲報だった。スリランカにある世界遺産の巨石遺産や船上から見た海の光景などから陶芸空間造りに着想を得たという。
意志を次ぐ人が現れ、支援者が動き始めた、やがて完成を見る可能性がでて嬉しくなってしまった。
私も魅せられて、スリランかへは2度の旅となった、此の空間の着想がスリランカにあった事を知るに至って、ただ通り過ぎてしまう空間ではなかった事、制作者にお会い出来なかった残念さが残る。
ニュースを届けてくれた友人はきっと作者が近くに居るとあの時、既に撮影に夢中の私達と違って、作者を捜してくれた。思えばあの時、既に体調を崩されていたのではと思う。
昨日は三重の鳥羽水族館の事を思い出していた。
興味のある事、ない事が極端な私、水族館に居る珍しい魚類を見ても何に属する魚か?知らない事の方が多い、小学生並かも。
魚など、今だ切り身になったら魚の名前がなにか?ほんのわずかな種類しか解らない。
ましてた大漁の種類が一同に集った水族館の魚達、その分類に全く興味無し。見ている、知っているだが名前や種類はいい加減、鮫のようなとか、体長の大きさ・鱗こがあるない・へびのようなとか、色分けでの説明で終わる。
そんな極端な私に、友人は水槽内の作業中の人の写真を見て、此の大きい魚は「何という魚?」という、大きい魚は見えない。
水面下の小魚か?と思って、しばらく凝視してしまった。