此の時期になると口をつく歌が有る。
故郷の街焼かれ 身寄りの骨埋めし焼け土に
今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
三度許すまじ原爆を 我等の街に
海荒れて 黒き雨 喜びの日はなく 舟に人もなし
空重く 黒き雲 今日も大地をおおい 今は空に陽もささず
同胞(はらから)の たえまなき 労働に築きあぐ冨と幸 今は全て費え(ついえ)去らん
此の歌には4番迄歌詞があるが、歌うのは何時も1番だけ。
昭和20年8月6日広島に1度目の原爆投下、続く2度目8月9日長崎に原爆投下。
昭和29年3月にはアメリカのマーシャル諸島、ビキニ沖で、静岡のマグロ漁船に乗っていた久保山愛吉さんが核融合の水素爆弾の実験で被爆して犠牲になった。
此の原爆を許すまじの歌は、私が何時歌い始めたのか?定かではない。
突然の依頼で、101歳のお年寄りと病院へ向う。
午前10時、戸外に出てみてびっくり、暑い最中。本人3日も徹夜の様な状態になってしまったと。クーラーの故障で3日間苦しむ、睡眠不足のあげく、体中に発疹が出てしまった様だ。がっちりした体格、歩行も目も耳も支障が無い、頭の回転も速く若い、本好き、老人からの呼び出し、ヘルパーさんに今迄長髪だったのに、すっかり切ってもらって、毛が無いと奇麗に光っていた。
夫の付き添いで私の方が体調不調、夏場は家族不在になったり、友人が避暑地に行ってたりすると困ってしまう。私が倒れたら付き添ってあげるからと冗談まじり、手を取り合って病院へ。
タクシーがなかなかつかまらない、院内は空いていたが予約無しの外来とあって時間を要した。
帰りのタクシー、止めようとしたら反対方向だから駄目!と時間帯で通行出来ない道路有り、何時から通行止めになったのか?知らない!困るね!と、そして近道、101歳のベテラン、私の知らない近道有り、長寿に逆らってはいけないーーーさすが!!。