先祖が生活した地。
此処へは今日迄に数える程しか来ていないのに、懐かしい里山、路地、先祖の家紋が記された土蔵、門が目に飛び込んで来る、何代もの世帯交代を繰り返し懐かしい家はあっても住む人知らず。
墓石に深く刻まれていた我家の過去帳に記された名前が苔で埋まる。
明治生まれの祖父に慶応年代の話を聞いたのははるかーーーはるかーーーはるかむかし。
テレビで山の様に捨てられた、高価な石碑の山を見た、苔むす程に年代を経過していない石の山。
其れを見た、友人知人は最近、ビルの中にお墓を買い永代供養、墓地を求めなくなった現実が有る。そして捨てられた石を有る彫刻家がもらって形を変えた例も聞いたが墓石、供養塔だっただけに無料でも躊躇、重量が伴う為に運搬料の方が高いと言った現実もある。
なかなか此れななかった先祖のお墓、数百年の時の流れを感じさせる墓石。
墓石にも流行があったのか?石工の技術もあったのか、地上から30〜50センチ程の家型から、1メートル程の磨き抜かれた卵塔・背の丈を超える板塔、長方形の石面に柔らかな曲線が彫られた石、屋根の有る塔、等々が林立する。苔むしても大昔のまま、存在している自然環境が嬉しかった。
我家の先祖のお墓を守ってくれていた人も今は亡く、家紋や家並みを目に通過した。
この穴は?アリ地獄??守芳院駐車場
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大昔、成虫がウスバカゲロウになるとは知らず、息子の蜘蛛の飼育と共に見守る。
蜘蛛の餌は、浜松からコオロギを取り寄せアリジゴクは勿論都会の蟻。何時の頃かアリジゴクに動きが亡くなり死んでしまったか?、確かめたら砂の中に繭と言うのか?さなぎと言うのか丸い塊が一ツ、もしかしたらと又元通り飼育箱に、どれくらい時間の経過があったのか?アリジゴクとは似ても似つかない細い蜻蛉の様な物が1匹飼育箱の中にいた。それがウスバカゲロウを知った時。
プルーンがたわわに実る、リンゴが色づき始めた、稲穂が膨らみ若いすすきの穂が揺れるーーーいいな!自然て!!
幽霊の正体見たり枯れ尾花ーーーにあらず、そっと触れたい程ういういしい。