私 の誕生地は父親の転勤地の伊那町だった妹弟みな異なる。
伊那町には父方の多くの叔父叔母が住んでいて親戚の家に仮住まい、全く覚えが無い。
飯田も飯田城址や弟達の通った長姫高校など途切れ途切れの話でしか把握出来なかった。
40数年前に泊まった弟の家から飯田城址が近い事など知るよしもなく、今回徒歩3分もしないところの天空の城、三宜亭、飯田城温泉に行って驚き、温泉の高台の下に弟の家が見えるなんて。
やはり骨董好きか?テーブルは古民家の蔵の扉、ストーブも年代物、姉弟揃って、お箸の持ち方が父親が教えてくれた通り、正しく無い、皆んな直せないまま今に至ってるなんて笑ってしまう。
食べ物の好みも同じ、た家族でよくすき焼きをした、調理下手の母が一番楽だったはず、信州の海なし県なのに、子供の頃よくクジラのしょうが焼きやクジラのお刺身をたべた。
夫婦2人暮らし、この日弟が会社を休み夕食を受け持つと言ったようで用意してくれた。
今ではクジラ刺しなど無いと思っていたのに、弟の用意したお刺身の中にクジラがあってびっくり、そしてすき焼き、病院勤務で帰りの遅い義理の妹が心配してか、仕出し屋さんに依頼した、野菜と海の幸の天ぷらが届いた。私も何時までも末っ子の弟の思い出が強く大人になっても心配。
苦手な合鴨があるーーー弟が「レイ姉、此れはダメだな!!」に爆笑してしまった。
だって、私が鶏の解体にショックを受け食べられなくなったのは、小学3年生、弟は生まれたてのホヤホヤだったはずなのだから、知るはずもなく、家族に言い伝えられたんだなと思う。
弟の家は2件地続き、私の膝を思って、座敷か椅子の部屋がいいかと問われこの家になったのだが、此処へといわれた床の間の前、毛皮が敷かれている。
なんの動物か?クマにしては黒く無い、もう1人の弟のお嫁さんが「レイ姉さん、此れはタヌキだよ」という。どうやって見ても熊でもタヌキとも違う鹿でもない、聞いたらニホンカモシカという。
どうして日本天然記念物のカモシカが死なせられるのか?。
県獣ではあるが 岐阜と長野県では食害防止の為、駆除しなければならず、駆除の対象になっているとのこと、と言ってもむやみに駆除できない、顔の辺りに丸い金属の証明が付いていた。
初めて触れる、こんなに長毛で柔らかい毛で覆われている動物だったとは知らなかった。