義理の妹の実家、飯田上村の遠山。
日本の里100選で、報道されてから遠山は今や観光客でいっぱいになってしまったようだ。
仕事が休みの時は、遠山の実家へ行き、畑仕事、今回は沢庵漬けの季節とあって遠山から大根を積んで帰宅、3~4本を束ねて干してあった。干しきれなかった大根や野菜を同行したう弟夫婦と我が家へと全部2等分してお土産となる。
大分昔、と言っても24~5年前、父の法事で集まっている時に遠山から訃報が入り、母と妹、弟達と急遽、義妹の実家に向かった。
当時はまるで上村、遠山がどんな所かも知らず、弟達は自分の車で、母、妹、私はハイヤーで向かった山間部に入り栗のイガがたくさん落ちている、拾う人もいないのか中から飛び出し車に潰されていた。7曲がり8曲がりくねくね、カーブの道のりに、運転手以外、全員が車酔い。
途中で何回止まったっか?辿り着いてみれば、標高1000メートルもある、山の頂上、斜面に家が点在している地だった。自分が立つと谷間の方に体が吸い込まれそうな保護斜め。
家の前は向かいの山の中腹あたり、だが足元は向かいの山に向かって傾斜地、その先、立ってる山と向かいの山との深い谷に落ち込んでいる斜面が段々畑になっていた。転んだら谷底に落ちそうな所。
そして葬儀は、集落の人の手作りで、桶に遺体を座らせて入れる座棺での葬儀、木で組んだ担架のような上に桶を乗せ、人々が担いで、掘った穴の中にオケを沈めた。
生まれて最初で最後の座棺の葬儀を見た。
今や南信州遠山は日本のチロルと呼ばれてるとの事。
東京への帰宅時、赤カブはじめその沢庵漬け用の、小さな大根や大きな大根、コンニャクの出来立てホヤホヤ、白瓜の粕漬けから、ほか赤カブのゆず漬け、生姜漬けとありとあらゆる遠山の産物を積んで帰る事となった。
そして野菜以外の、日本蜜蜂の蜂蜜や自分の敷地内でクルミの交配、かしぐるみとおにくるみの新種、きのこ類、銀杏などこれだけにするのにどれくらいの時間を要したか?と思うほど製品化された品々を車に積んだ。定年後も会社へ毎日出向き、趣味で始めた産物も売れる状態になっているのに、皆に喜んで貰えばそれでいいんだと、あげてしまう。最も夫婦2人きり何処も食べきれない。
大粒の銀杏、これだけの袋の中に3角、3面を持つ銀杏がたったの4つ。
3角は雌株、2面は雄株、雄雌の割合は10体1と聞くが本当に少ない。