東京人になって半世紀以上、昨日展覧会場で、区立駒込中学校が存在しているのを知った。
文京区、身近に駒込中学校がある為でもあったのだが、文京区の駒込中学校は私立、改めて検索してみたら、巣鴨駅の近くに区立駒込中学校があった。
そしてなお、佐藤美智子50年展プロジェクトチームの企画展の案内を見て、東京都北区は1935年頃は東京市滝野川区という地名だった事も知る。東京都制により、滝野川区も隣接する王子区も合併後は北区となったようだが、思えば自身が住む地域ですら、駒込林町・肴町商店街などの名前も遠くなった。
展覧会場に隣り合って、岡本太郎の絵が目を引く。
内部に置かれていた、東海道かわさき宿交流館の案内パンフレット、それにより川崎のみんなが使える多目的空間を知ることとなった。
さらに忘れていた、2008年、多摩丘陵・生田緑地区にある、岡本太郎美術館に行ったことを思い出した。
川崎のその地は岡本太郎の母、岡本かの子の生誕地。江戸時代の東海道線53次の宿場として栄えた川崎の街の原点。
写真は2008年の時の写真。マンフォールの蓋は当時気がつかなかったが椿の花?、これも検索の結果、川崎市のシンボルの木は椿とされていて、納得。