京都大学原子炉実験所にいた小林圭二さんをシゲさんがお迎えに行く日。
榧さんから、東京を発つ前日、今回 和歌山3泊の理由を聞いていた「私はもう死にますから、会いたい人に会えるのが嬉しい」と、それが目的、奈良吉野への立ち寄りも会いたい人だった。
若い頃、榧さんが山行を共にした小林圭二さんに会える事を望み、圭さんの希望もあって、シゲさん由利さん宅に共に宿泊のチャンス、話は尽きない事だろう。
一寸体調を崩されているようだが今年の春はシゲさん由利さんが伴って由利さんのご実家、山形泊、大自然、山歩きも試み、生き返ったように、元気に歩かれたとのこと。
圭さんの話は何度も聞いていた、山行きの話より高速増殖炉もんじゅの危険な事、福島原発など再三原発の危険を警告していた人と。
福島原発以来「圭さんの言った通りになってしまった!!」を榧さんは繰り返して言う。
榧さんは87歳、圭さんは榧さんより10歳若いと、よく行った山の思い出話しをしてくれたので、定年後も私の中ではたくましく、山行を続ける、バイタリティのある圭さんのイメージが膨らんでいた。
早朝から、榧さんに高野山見学に早く行ってきなさいと促される、私は圭さんがくるから留守番をするというのだ。
シゲさんも午前中に大阪まで小林圭二さんを迎えに出かける都合があり、留守番の榧さんに粘土をと言われ用意する事となった。今回の作陶はまったく聞かされていなかった。
目的は作陶にあり、榧さんの目的にさっしがつかないなんて、あり得ないでしょうと、笑われながら私は高野山へシゲさんは大阪へと出掛けた。
大阪からの戻りは3時頃と聞き、私も見学時間を調整した。
シゲさんの作った熱効率の良い、珍しい薪を縦にくべるストーブでお尻もポカポカ。
叶った念願に心も満たされて一人頑張る、石彫は削る、粘土は付ける早い作品の出来上がり。
ダライ・ラマの講演会に行ってた由利さんが早めの帰宅、シゲさん圭さんも到着皆揃った。
榧さんは2作品完成新たに、粘土を貰って3作目に取り掛かっていて、皆が揃ったお茶タイムをパスーーー夢中の榧さんに、これもあり得ない事。