此れほど沢山の達磨を見たのは久し振り。
それは群馬県少林山達磨寺での事、そこに山となっていただるまにはすでに、目が入った縁起達磨だった。
少林寺訪問時の事、ブルノータウトの生活した家を見た。
ドイツのナチに追われたブルノータウト、希望した日本への亡命は認められず3年半日本に滞在したとの事。その後トルコの大統領に寄って、イスタンブールの大学の教授として招聘されて、わずか1年か1年半ほどで亡くなった。
幾度かのトルコの旅では、そのブルノータウトを招聘した大統領アタチュルクの命日に当たった日があった。
建国の父と敬うトルコ国民と共に黙祷、大音響と共に船の汽笛、車のクラクションがなり渡った、時11月10日9時5分のだった。
群馬県のブルノータウトの住んだ家を見てから4年後の事だった。
京都、桂離宮の本、日本の美しさを最初に世界に広めたさ建築家を思い出す。