オーストラリアからのライン、孫の悲鳴が聞こえそう。
大昔、私のヨーロッパ初めての旅はギリシャだった。
それ以前の旅はアジア(ネパール)山の雷の体験はないが、白馬の山での雷も記憶に残る怖い雷。
だがギリシャの雷の怖さは尋常ではなかった、それを思わせるのが栃木県小山での雷で強烈な稲光、凄まじい光の太さと回数のすごさ。
ゴロゴロ・ゴロゴロなんていうものではなく稲光と天地を響かせる雷鳴、日本語でそのすごさを表現する擬音語がない。
栃木県の雷をドデン・ズデン・ズシンと言葉の表現をするが、それさえ凄さが伝わらない適切な擬音語ではないのだ。
日本列島、凄まじい雪、八幡平の雪の回廊を見たのは2014年の5月、岩手・秋田の見上げるほどの雪の壁に雪虫が飛んで居た。
山形の湯治場の肘折温泉も4メートルの積雪で埋もれたが、春近し頭をのぞかせたフキノトウがうもれ、さくら咲くお花見の時期になっても雪は消えないのかもと心配。
旅好きだったお姑さんが長生きをすると縁をした所が良きにつけ悪しきにつけ心配とテレビの画面に釘ずけになってた姿を思い出す。
毎年行われる、雪国では氷のアート。
雪も氷もないオーストラリア、ゴールドコーストでは砂のアート。
見応えのある作品、毎年、テーマがあるようだが?
南半球の冬らしからぬ冬の旅の経験しかない、毎年此の砂のアートのラインが届く度、夏季のオーストラリアの旅も考える。
サラサラ手の中からこぼれ落ちる砂、そんな素材でこれだけの作品の出来上がる工程は必見と思うのだ。