炉端での食事の前、和歌山の由利さんと電話が通じた。
原子力・原発の研究者の1人小林圭二さんが語った、此の技術は人類が管理出来るものではないと、接するシゲさん由利さんとの時間はぽかんと穴が空いたよう。
由利さんの声が悲しく沈む。
2年前の秋、榧さんと奈良・和歌山行きは私にとって手術退院後間もない、長距離息子に助けられ予定変更せず叶った旅。
その時の和歌山行きは突然のことではなく数年前から、奈良・吉野のお寺・和歌山、榧さんが打診、決めた事、榧さんの頭の中には会いたい人が沢山存在していた。
吉野のお寺もかなりハード、しかも目的の人には会うことができなかった。
榧さん和歌山で待つ、森岡成好、由利さんには山登りを共にした、原発反対に闘志を燃やした小林圭二さんに会いたいと伝えて居たようだったが、健康を害し、大阪に住んで居て会えない人という事だった。
その小林さんの話を榧さんは何度も何度も私に聞かせ、繰り返し会いたい人と語った。
サプライズ、なんと病気の圭二さんを、シゲさんが大阪まで迎えに行き、榧さん感激の対面を果たしたーーーその人が5月に他界。
ドクターヘリの発着訓練地で休憩をとった、近くに山が見える大自然。
前日から杖を頼りにあまり行動がスムーズでなかった、圭二さんが休憩をとった此の地点で、いつの間にか杖を肩に担いで、腕を振って歩き始めた。
久し振りに、山行の仲間と会って刺激を受けたのかも、すごい力強い、病人ではない姿、シゲさん家族が榧さんが会いたいという人との対面を果たしてくれた、大きなサプライズは圭二さんにも元気を取り戻す結果を生んだと、見とれた。
圭二さんとのお別れシゲさんの車で、大阪の自宅に向かった。
圭二さんとのお別れの榧さんの言葉.
「今生の別れ 私もう死にますから!」だった。